ヤマギシについて想うこと。

私の、人生において、一番ながーく11年も勤めた職場(36歳の現在まで)であり

そして最初に農業を学ばせて頂いた、場所であり


なにより、人生の宝物

『われ人と共に繁栄せん』の言葉
※ヤマギシ会会旨
現在、おかもと農園社是 でもあります。
を頂いた
古い古い仲間たちとの思い出の地について書きたいと思います。


ヤマギシを出た日
自分は、不安と
新たな生活への期待を持っていましたが
ちょうどまた不安がある今日この頃

あの時と違うのは、かなり不健康な状況かな

さて

書きます。

Wikipediaなんかを見て頂けたら
ブラジル、カンピーナス農場が1,000haあったり

大潟村に60haもの水田がある

という農業会社としての巨大さは、ご理解頂けると思います。

私が高等部という中学を卒業した若者が入る私塾(一種の養成所みたいもん)
で見たものは、Wikipediaなんかに書かれているモーレツな社会で

中退し、四日市市にある養鶏場に配置されしばらくは、そんなモーレツ思想になっていたと思います。

ただね。
うまくしたモノで
毎日毎日16時間も働き(働いていたことを見せつけていたんですね、自分が周りに)

頑張る方向性を間違えていた私は、倒れてしまいました。

そうして
モーレツ思想を持つある中等部・青年部世話係と話をしてうんざりし

数ヶ月たったある日
和歌山県にあるある養鶏場に

そこで養鶏の師匠とお会いしました。
彼は、本庁(豊里)から命令された体重測定なんぞ鶏を拘束しストレスを与えることをしなくても鶏たちの体重をズバリ言い当てましたし
なにより鶏たちも少し具合が悪いと彼に頼って、面倒を見て貰っていたのです

ファンタジーですよね。これは

彼は、なるべく鶏舎で長く仕事をしないよう指示をし
鶏たちに安らぐ時間を齎し
なにより彼のもとで仕事する人々に、本当の意味で仕事を与え幸せを齎していました。

余談ですが美食家の多い関西では、他のヤマギシの鶏舎の卵じゃ満足出来ない方が、彼の鶏舎の卵を指定して買うなんてことが在るそうで、販売部門の供給所の方からそう聞いてなるほど食べる方も幸せにするんだな。
スゴいと感動しました。


そしてそれは、モーレツ思想とは、真逆

幸せとは、なにか
そして会旨が述べている人と共にとは、なにかを私は、覗き見たのです。

そして四日市市に帰ると 私は、鶏たちを観察し彼を目指しながら

ついでにお花を鶏舎の前に植えました。
ガーデニングとまでは、当時は、思って居ませんが卵を産んでくれる、鶏たちは、みんな女の子(男の子も有精卵だったからいましたけどね)ですからね。

うん、なんだか嬉しい気分になりました。

そのうち山菜や薬草の種などを拾っては、そうした私の手作りの庭もどきに植えて

いつしか畑のことを学びたくなっていました。

そう、その時出会ったのが今は、故人ですが熊谷翁

彼は、鳥(カラスや雀やら)の声を聞いて天気を知り

自然と本当に会話して野菜を作っていました。

蓮根を可愛がっていて私に蓮根の育て方を教えるには、まだまだと言いながらけっきょく教えて頂かなかったので
私が死んだらその時に天国で師匠に聞く楽しみにとっておくつもりですけれど

彼は、様々な野菜との付き合い方を教えてくださいました。

まだまだ熊谷翁には、到底及ばないと思いますが
緑の魔法使いの弟子として文字通り『研鑽』を積みたいと思います。

こうして鶏と野菜について学び

私は、会本部のある伊賀の農場で働くことになりましたが

その際、自閉症などの障害のある方々と野菜の出荷作業をさせて貰ったのが
福祉と農園芸を繋ぐ園芸福祉の考え方を学ぶきっかけになりました。

この当時
障害のある方々…中には、小中学校に通う子たちもいる、そんな施設で寝起きを共にさせて頂きました。

ある日
ハムスターを飼ってる子からちょっとした提案で、ハムスターのご飯を作りたいと

もちろん、ハムスターの餌の量から考えたら相当量のひまわりが必要になりますが

それでも一部だけでも自分が育てたひまわりの種で自分の可愛がっているハムスターくんにご飯をあげられたらとても素敵な思い出になるんじゃないか

そう私は、考えてひまわり畑を作る手伝いをしました。
彼が自分で学んでね。


そうしてどうなったか自分は、すっかり忘れてしまいましたが

数年前偶然その彼にインターネットで連絡がつきまして

年賀状を頂いたり、本当に自分にとり最初の『教え子』みたいものですからなんだか嬉しくてね


彼は、今社会に出て立派に働いています。それがなんだか嬉しい自分です


(ついでにひまわりが一番好きな花なのもこうした思い出があるからです。)

そのように自分の後々まで、影響を与えてくださったヤマギシですが

大検をとり

もっと広い見識とヤマギシには、無かった園芸を学びたく
また園芸の仕事をしたくて私は、出たのです。


私は、ヤマギシが世間で言われるようなところを感じたことは、あまり有りませんし

ただ研鑽会とか
世話係とか

そういうモーレツ思想は、とても間違えていると

ぶっちゃけ私は、行かなかったんですが特別研鑽講習会なんぞやめてしまえばいいと思います。

山岸巳さんが生きていればそう言うと思いますがね。

人と共にをきちんと知るならば

農産物を買ってくれる人

資材を売ってくれる人

地域の皆さん

社員の皆さんやその家族

どんな人々とも共にやれますよね。

自分の出来る範囲で 手を繋ぐ、そうしたら世界は、幸せになれると私は、思います。

無理に、革命とかは、いらないんです。

屁理屈で頭を混乱させたりしなくて良いんです(笑)


だから世界をヤマギシズム革命なんぞしなくたって

イスラム教もキリスト教も仏教も

アメリカ人もイギリス人もフランス人もドイツ人も中国人もインド人も日本人も
考え方が違う人も

いろいろ居ていいはずですから

自分は、2人の師匠とお会いしたため多分ヤマギシでは、異端者になってしまったのですな


だけど私は、コレを言います。

『われ人と共に繁栄せん』

私は、農産物を買ってくださる方、資材を売ってくれる方、働いてくださる社員という仲間、その家族
地域の人々を幸せにする農業会社を作りたいんです

まだまだ弱小で兼業しないと喰っていけないような農業で夢ですけれど

そして2人の師匠と同じように扱っている『いのち』とも向き合って、自然とも対話する
そんな農業者を目指したいんです

うむ、まぁ30日に例の記事を書く前に私が大切にしていたむかしむかしのお話を書いてみました。


自分の原点を確認したくてね。


では、長くなりましたがもし最後まで読んでくださったなら感謝いたします。ありがとう!!

私の原点のお話でした。


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