高等学校卒業程度認定試験をとりたい方へ。

どうも
まだ高等学校卒業程度認定試験が大学入学資格検定(大検)と呼ばれ
年一回の受験で
かつ11科目の受験科目のあった時代に受験し合格した私です
3月22日に私は、ヤマギシ時代についての話を書きました。

今日もほんの少しだけその話を書きますが、基本的に高等学校卒業程度認定試験を受ける皆さんへの応援メッセージです。

その前に
もともとこのお話は、フリージャーナリストでもあり福岡にある一般社団法人ストリートプロジェクトでも活躍する今一生さんとツイッターで高認試験を受ける方
(ストリートプロジェクトで支援する居場所のない若者の)ために応援メッセージとして書こうとしていた記事を加筆修正しました。

ストリートプロジェクトの活動(居場所のない若者に、学力と生きる力を与える)と実は、おかもと農園(将来的にノーマライゼーション雇用を実施し、同時に地産地消ビジネスを実施して地域の食の世界を盛り上げる)の目標は、ある程度リンクしている部分もありますのでこちらについても後々ご紹介いたしますね。

さてと

まずは、私の中学生時代について書きますが、いじめが苦手な方は、読み飛ばすことをおすすめします。

私は、中学生時代も小学生から続くいじめられっこでした。
中学生になり内容は、かなり陰湿になりました。

私は、水泳部に所属していたのですが
朝の練習で泳いでいる最中に私の脱いだ衣服
とりわけ下着を盗まれ
それを女生徒のかばんや机の中に隠す

そうしておいて私が困っていながらも授業の始業にあわせようといくと数人がニヤニヤしてるんです

そのうちのひとりが女生徒にわざとらしく告げて授業中に騒ぎに

私がいれたと濡れ衣を着せヒステリックな担任が私を叱りつける


…このようなことが数度続きまして

私は、担任から下着をわざと女生徒の机にいれる変態だから精神科で見て貰うべきだというイロメガネで見られてしまったのです

私がきちんと説明していれば、浜松医科大学附属病院 精神科 思春期外来 にいく必要も無かったのでしょうけど

当時の私は、今の私と違い本当に根暗で大人しい少年でした。
大人からは、元気と思われていましたが心配させないために演技していたのです。

さてその浜松医科大学附属病院にいったおかげで実は、わかったことがあります
私は、発達障害
当時の名前で微細脳機能障害と診断されました。

私は、授業で説明を受けてもなかなか理解出来ないという部分で欠損があり美術や音楽、体育といった実技テストのある授業は、大変苦手な体質だったのです。
よく私と合ったり文章をみたり電話なんかでお話したりする方は、えっ…そうは、見えないけど

と仰ってくださいますが。

それは、今まで支えてくれた周りの方だったり、皆さんの優しいお心使いです。
いまだ、私は、実の両親(とくに母)からこの障害についての指摘を受けます。
社会的には、きっとまだまだなんだと思っています。

さてそんな微細脳機能障害を持つとわかった少年時代の話に戻しましょうか


当時私を病院おくりにした担任は、結婚し他県に嫁ぎました。
私は、勘違いされたままでしたけれども担任の先生には、幸せになって欲しいなと思っていました。


そのあと
2年生になったのですが担任は、私が苦手な教科の体育を受け持つ方でかなりがっちりした方でしたが、

教科そのものは、苦手でも人間として私に向き合って頂いて一番2年生が正直ホッとした時代でした。
ただ人間うまくいかないものです
お体の調子を崩され入院されてしまい

その最中の話
信じ難い話を今からします。

ある社会科の先生が公民の授業で
『障害者と生きる』と題して私のことを晒しました。

授業中に

それまで学校側は、私の病名も伏せて普通学級で授業は、わからなくても参考書を読めば学習に追いつくことが出来るため一部教科には、迷惑をおかけするけどもと配慮してくださったのですけれどね。


ちなみに現在、授業中病名を晒してくださり何かと卒業まで陰険にしてくださった社会科の先生は、どこかの中学校で教頭をしているそうです。

浜松市の教育行政の失敗ですね。残念ながら

彼が実は、ヤマギシに私を送る遠因になったのですよ。

他県進学を推進したのは、他ならぬ彼ですからね。

教頭となった今もそのような教育をしてるかも知れないと思うとゾッとします。

さらにちょっとばかり黒い歴史(母校には、悪いけれど)を書きます。

世の中には、ちょっと変わった方は、私を含めてたくさんいます。

しかし私は、他人を傷つけることに嗜好を持ちませんし
何より傷つけたなと思うと心が痛みます。

そんな人間ですが
おかしな方は、いるものです。

いつものように帰り支度をし自転車置き場に自転車をとりにいこうとした時
突然小さな玉を大量に浴びせられました。

ええプラスチックで出来た弾丸ですね。
一瞬なにが起きたかわからなかったのとあまりの痛みに人間よく出来たもので痛いという感覚が消え理不尽さに頭にきましたが、改造モデルガン(軽く人間が怪我するレベルまで改造された)を撃ち私を襲撃した方は、逃げ出してしまいました。

私は、多少怪我したもののまぁ擦りむいた程度でしたし
何より犯人をよく見なかったため、そのままその日は、帰りました。

しかし世の中よくしたものです。
そのことを偶然通りがかって一部始終を見ていたPTAの方が学校側に通報

そして調べてくださいまして

ただね。当時の三方原中学の校長の子息だったことから
人を撃ってみたかったという狂った理由を聞いても
湖東中学の先生方は…事件をうやむやにしようと
(それがそもそもの間違いですがね)


私がおかしい人間だからと理由づけたのです

ヘンですよね。
あまりに理不尽です。
このことに立ち上がったのが、不良と呼ばれていたちょっと怖い方々でした。
例えば煙草を吸ってみたり、授業を妨害するような方々でしたが、
人間として許せなかったのですよね。
私は、頼んで無いんですが、集団でその子息をリンチし
三方原中学から正式に謝罪を求められるという事件に発展

もちろん謝罪に行かされましたが

さらにそれがくすぶった原因で
かつ、近隣中学より厳しい校則などもあり
不良たちが修学旅行で先生方を軟禁したのを皮きりに授業は、崩壊…
酷い有り様になりました。
武力衝突とも言うべきですかね。
私は、首謀者扱い

…違うのに
彼らなりに隠してだまそうとした学校に義理と人情から怒り
それを示したら学校は、崩壊してしまったんです

で結論から言うと原因である私を他県につまみ出せと

その中で私が幼い頃からなにかと守ってくれた不良?のひとりが楽園村を紹介

私は、そうしてヤマギシと接触し
ヤマギシにある高等部に入ったという訳なんです



まぁヤマギシは、私にとりシェルターでした。

仕事さえこなせばある程度ほっといてくれましたしね。

ただWikipediaをみてわかるかと思いますが1995年頃
オウム真理教との類似性(?…自分には、そう感じなかったけど)を指摘され

広島弁護士会などが圧力をかけた結果

1998年頃からなにかと自分がなりたい自分になる自由とか
言われまして

それまで根暗で受け身な私もなにか勉強をしてみようと思いはじめたのです


えぇそれが大検を受けようとした直接のきっかけです


大検を受ける前に例の鶏舎前の庭は、さらに発展して畑を四日市市の農場は、持ちましたし、伊賀の本部に来てからもハーブを植えたり(とくに当時は、ラベンダーが大好きでした)と園芸を楽しんでいました。

私がなりたい自分として目指した方

それは、私が心の師匠とお呼びしている富山昌克先生です
ヤマギシ時代は、ブラウン管越しに観させて頂き
あの園芸を楽しそうに紹介する様をみてああなりたいと

ただヤマギシでは、お金をお給料で頂けるわけじゃ有りませんから調べて学費がかからないタキイ種苗の専門学校を一番最初は、目指しました。

が年齢でアウト。

でもそのときその学校の方が大検と
富山先生の母校と

多分、私が聞き間違えをしたため埼玉校を受けてしまったのですが(笑)
※富山先生は、大阪校で教鞭をとってます。


自分の母校になったテクノ・ホルティ園芸専門学校について丁寧に教えて頂いたのです

そりゃトミー(富山先生の愛称)を目指してる園芸愛好家ですなんて言いましたから自分(笑)


で大検を独学

と書きたいとこですが、事実は、数学と英語は、偶然ながらヤマギシの中に元家庭教師の方がおりまして、その方々に応援して頂き勉強


毎日農場で仕事して勉強ですからね
かなりくたびれましたが充実してましたよ。

高認をとる方にお勧めですが試験の合格だけでなく、そのあとどんな風に生きたいか、どんなことを学びたいか、どんな仕事につきたいか、それをイメージしながらニマニマする時間も試験前には、必要と思います。私は、めちゃくちゃ大変な11科目受験でしたがニマニマした時間が私を勇気づけました。

がニマニマし過ぎて調子こくと

大学に落ちます。
私が実際やらかしましたから(爆)

計画性も必要ですね。

はい
まぁ大検をとって変わったこと
それは、行動力が身についたこと
ポジティブな思考も身につきまして

何より自分がしたいと思うことを出来るように考えていくこと

ですかね

行動力のおかげさまで富山先生にもお会いし、誕生会や忘年会にもお呼ばれしましたし、

富山先生ほどでないにしても浜松市で市民農園なんかで講師や
ひまわり2525プロジェクトで園芸家としてやらせて頂いております。


まぁまだまだですがね。

そうそう
おかもと農園を作ったのは、ノーマライゼーション雇用を目指してると書きましたね。

自分自身が障害も有りますし、いまだに社会の端っこです
不安定な非正規雇用との兼業
でもね
それを良いと私は、思ってません。

他人を傷つけると心が痛みを覚える私です。

不器用ですけど
そんな私を支えてくださる仲間なら一生かたちは、ともあれ笑いあって生きていきたいと考えてます。
まだまだ他人様の生き方を預かる実力は、無いのですが、性別(中身を含めて)、学歴、過去、障害それをすべて関係なく、私と共に生きれる社員をいずれ迎えたいと思っています。
ヤマギシを批判出来ない農業経営者が非常に多い中で、私は、他人の人生に責任を持つ経営者を目指します。
もちろん私のおかもと農園をステップアップにし独立も歓迎しようと考えております。

頑張ります。

ここまで長い文章読んでくれてありがとう

そしてこれを読んでくれた方が人生を少しでも楽しめ、充実出来ますことをお祈りします。



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